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軍師官兵衛

軍師官兵衛について

「有名な軍師と自分とは、比べものにならない」と承知しつつ、平成の黒田官兵衛と自称させていただいております。

「人に媚びず、富貴を望まず」私の好きな、黒田官兵衛の言葉です

2014年のNHK大河ドラマの主人公 黒田官兵衛は、以前にもテレビ番組に登場した人物です。

「戦国疾風伝 二人の軍師」秀吉に天下を獲らせた男たち (テレビ東京)

今から四百数十年前…。群雄割拠の戦国時代。

戦乱の世を制し平定したのは羽柴秀吉だった。

その天下統一の陰には、二人の軍師の活躍があった。

一人は竹中半兵衛。そしてもう一人は黒田官兵衛。

竹中半兵衛の名を世に広めたのが、美濃・稲葉山城の乗っ取りである。

織田信長も手を焼いた難攻不落の稲葉山城を、わずか16名の手勢で一夜にして奪い取り、主君・斉藤龍興の愚政を諫めると自らは隠居を申し出、あっさりと城を返上したのだった。

その頃、播磨の諸将たちは、東から迫る信長と西に絶大な力を誇る毛利に挟まれ、天下の行方をじっと見据えていた。

姫路城の城代で小寺政識に仕えていた黒田官兵衛は、早くから信長の天下を予見し、自らも天下の政に組したいと秘かに野望を胸に抱いていた。

ある日、半兵衛のことを聞いた官兵衛は、どんな人物なのか見極めるため会いに行く。

その道中、龍興の元家臣に襲われた半兵衛の妻・ちさと楓を助ける。

半兵衛のもとを訪ねると、そこには信長の命を受けて半兵衛を勧誘しにきた秀吉の姿が。

半兵衛と官兵衛、そして秀吉。後に天下を共に目指す3人の不思議な巡り合せであった。

「天下は一人の天下に非ず」と信じる半兵衛は菩提山城を妻・ちさと弟・久作に託し、秀吉の軍師となって、抜きん出た才を発揮していく。

その後、「天下布武」を唱えた信長は官兵衛の予想通り、越前の朝倉義景、北近江の浅井長政を破り、破竹の勢いを増していく。

官兵衛は、毛利に心を寄せる主君・小寺政識や重臣たち、さらに近隣の諸将を説き伏せていく。

さらに、信長への忠誠の証として一子・松寿丸を人質に差出すことに。

妻・光は反対するが、母と生き別れた生い立ちを持つ源蔵に説得され、決意を固める。

松寿丸は信長の命を受け、秀吉の妻・ねねと暮らすことになる。

天正5年、毛利攻めの総大将として秀吉は半兵衛、荒木村重、さらに、毛利に積年の思いを抱く尼子勝久、山中鹿之介を引き連れて西へ向かい、官兵衛は秀吉たちを播磨に迎え入れる。

しかし、一度は調略した筈の近隣諸将たちが、信長に怖れをなして次々と毛利方に寝返ったのだった。

一方、生来病弱だった半兵衛は、絶えず秀吉の側で戦場に身を置き、無理を重ねていた。

戦を憎み、侍を嫌っていた楓の兄・多十を戦に引き出し、死なせてしまうと、病も一気に進行し、秀吉から養生を命じられるのだった。

親しかった摂津の武将・荒木村重の突然の謀反と、主君・政識の寝返りを聞き、官兵衛は、父・宗円に後事を託し、村重の翻意を促すため、単身、有岡城に乗り込む。

しかし、その後、官兵衛の消息は途絶える。

村重らの寝返りに苛立つ信長は、秀吉に命じて官兵衛の息子・松寿丸を殺すよう命じるのだった。それを聞いた半兵衛は命を賭して一計を案じる。

有岡城の隅にある土牢に、一人の男の姿が。
衣服も汚れ、髪も髭も伸び放題の官兵衛だった…。

その後、明智光秀が信長に謀反。訃報を聞いた秀吉は泣き崩れた。

その横にそっと近づき、官兵衛は 言った。

「今こそ、天下を取るときでございます。」この一言が秀吉の運命を変える。

光秀を討って天下を取るには一刻も早く東へ向かわなければならない。

これが、後に「中国大返し」と呼ばれる奇跡である。

しかし、このことが後に、
「自分と同じ発想をするものが、身内に居る」
「自分の天下を、脅かすのは、この男だ」
と秀吉に思わせてしまったのは、皮肉なことである。

「人に媚びず、富貴を望まず」

戦国乱世、生き残るためには、裏切りなどは日常茶飯事。

忠義などというものは江戸時代に入ってからの概念で、この頃の武士は自分や家を守るためには、きれいごとなど言っていられないのです。

官兵衛もまた、幾度も裏切られ、痛い目を見ます。

しかし、彼は決して人を裏切らない正直者でした。

だからこそ、敵は彼の言葉を信じ、説得に応じるのです。

そこが彼の魅力の一つと言えるでしょう。

「人に媚びず、富貴を望まず」

官兵衛の言葉です。彼は信義を重んじた無欲な男でした。

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